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右手で描いた暇つぶし  語り部田宮My小説を載せていきます。ただ、それだけだと寂しいので、ぼくが日々感じたことや考えたことを徒然なるままに語りますね。 

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評論:竹内整一『「かなしみ」の哲学』

   ↑  2011/08/03 (水)  カテゴリー: 感想等 ※時々ネタバレ注意報
 どうも田宮です。

 既修者試験が終わってから会社法をなんとか攻略しようと励んでいたのですが、いよいよ地獄モードに突入しました。もうね、公開会社とか非公開会社とか委員会設置会社とか取締役会設置会社とか監査役会設置会社とかー、種類ありすぎなんですよー。しかもそれで手続が変わったりとかしますし、種類株主総会での取締役と監査役選任の種類株式のところで公開会社と委員会設置会社を除外したりとかしないで!(こんなこと言ってもほとんどの人には意味不明だろうな……)
 まだまだ長い道程になりそうです。夏休み中には攻略せねば(汗)。

 閑話休題。

 

『「かなしみ」の哲学――日本精神史の源を探る――』竹内整一/NHK出版
 なぜ「悲(かなしみ)」を愛するのか
 人間は「悲の器」である。そこにはおのずから「かなしみ」が降り積もる。日本には、「かなしみ」を避けずにあえて感受し、それを通じてしか触れることのできない価値を説いた先人たちがいた。わたしたちはなぜ悲哀の物語を、哀調のメロディを愛してきたのか―日本思想の核心が、いま明らかにされる。(NHK出版


 率直に言って大変に難しいと感じました。
 とりわけ序盤で国木田独歩を引用している箇所があるのですが、そこでは「かなしみ」について、天地の悠々たる大きさの中で消えて行く小さな存在の自分をそれでいいのだと安心する「天地悠々の哀感」と、キリスト達のような確固たる独立独歩の存在とならねばと痛感しながらも必ず朽ちる存在の自分としてむしろ通俗同胞の小民と共に死にたいと思う「同情の哀感」との2つを区別しているのですが、ぼくにはイマイチその違いが理解し切れていません(全文を読んでいないみなさんにとっては尚更でしょう)。

 そのため、感想を書いても結局どうしようもないものになりそうですから、いくつか興味を引かれた箇所を抜き出してみます。

「たとえば、日記でも手紙でも、またメールでもブログでも同じであるが、溜まった思いを言葉にして吐きだしてゆくと、そこにあるかたちができてくる、自分の心のありようが見えてくるということがある。もともと確乎とした思いがあって書くのではなく、書くこと・表出することによって、その思いがかたちをとってくるのである。そして、そのことによって、思いが晴れてくる……、『かなしみ』を晴らすことができるということでもある。」(76頁)
「たえがたい思いは、ただ独り言で言い続けても、なかなか心の晴れないことがある。そのとき、その思いを人に語って聞かせれば、心の晴れることがある。さらにその人が『ほんとうにおつらいでしょうね』などと共感してくれるならば、いよいよこちらの心は晴れるものなのだというのである。それは、すでに一種の救いでもある」。(77頁)


「『物のあはれ』というのは、結局は、われわれのうちにある、何かしらの『永遠の根源』なるものへの思慕ではないか。喜びも『かなしみ』も、すべての感情は、そうした『永遠の根源』への思慕をうちにふくむことによって、初めてそれ自身が喜びとなり、『かなしみ』となる。むろん、それはいつもそう意識されているわけではないが、われわれが『ああ』と詠嘆することのなかに、こうした『永遠の根源』への思慕があるはずで、たとえば、『ああ楽しいなあ』、と思えばそれはずっと楽しくいたいと思うし、『ああいとしいなあ』、と思えば、それはいついつまでなどとは言わずに、ずっと愛していたいと思うものだ、だから、愛はかならず『かなしみ』となるのだ、と。われわれは有限である。にもかかわらず、愛は愛のなかに永遠を目指すから、それはどうしても『かなしみ』にならざるをえない。」(209頁)

「かなしみは明るさゆえにきたりけり一本の樹の翳(かげ)らひにけり  (『子午線の繭』)」(216頁)

 うーん、やっぱり難しい。


「かなしみ」の哲学―日本精神史の源をさぐる (NHKブックス)「かなしみ」の哲学―日本精神史の源をさぐる (NHKブックス)
(2009/12)
竹内 整一

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