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右手で描いた暇つぶし  語り部田宮My小説を載せていきます。ただ、それだけだと寂しいので、ぼくが日々感じたことや考えたことを徒然なるままに語りますね。 

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時に不可解な最高裁

   ↑  2011/08/05 (金)  カテゴリー: 徒然日記
 どうも田宮です。

 法律の学習にあたっては一に条文、二に判例というのが法学部の常識だろうと思います。ところでこの判例、なかなか厄介で、まず十分に勉強していなければ判例の言っている内容を理解することもままなりません。なにせ有名な学者の間でも判例の理解が分かれたりするくらいなので。また、時に間違っているとさえ思えるような結論を出す判例もあります。もちろん判例は法律を知り尽くした裁判官の方々が知恵を絞って出したものですから、多くは非常に納得させられる迫力をもっています。しかし、やはりどうしても納得のいかない判例も確かに存在するのです。

 とりわけ最近のぼくにとっては、最判平成18年10月5日(判時1952号69頁)がどうしても納得できませんでした。

 これは不法滞在をしていた外国人が東京入国管理局主任審査官の発付した退去強制処分の取消を求めた事件でした。
 ここで制度と法律に関して少し補足をしておきます。
 まず不法滞在者は「出入国管理及び難民認定法」に基づいて退去強制処分を受けます。その処分に不服のある者は、法務大臣に対し異議を申し立てることができ、それに対して法務大臣は処分が適切かどうかを判断して、その結果を主任審査官に通知します。本事件でも異議申立てがなされており、法務大臣は適切であるとの判断を下しています。ところが本事件で争いになったのは、法務大臣はその判断の際に事実の認定などを記載した「裁決書」を作成しなければならなかったにもかかわらず、これをしていなかったことでした。
 次に法律に関して、行政の処分を取消すためには様々な根拠を主張しなければならないのですが、本事件ではまさに先ほどの「裁決書」を作成していなかったことを理由に取消の請求がなされました。そんなことで……と意外に思われたかもしれませんが、このような手続上の瑕疵(注:かし)はこれまでの判例でも取消の原因となり得ることは認められており、そこで重要なのはそれが「行政庁の恣意を抑制し相手方に不服申立ての便宜を与える」という趣旨を含んでいることです。つまり、処分をされた方からすればどういう理由で処分されたか分からないと、どのように訴えたらよいか迷ってしまいますが、「裁決書」などを見て、いかなる事実をいかなる法律に基づいて判断しその処分がなされたのかが分かれば訴えやすくなるという利点があるのです。
 しかしながら、仮に取消がなされても不法滞在という事実は変わりありませんから、行政としては今度はきちんと「裁決書」を作成して退去強制にすれば済むだけです。それではなぜわざわざ取消を求めたのかと言うと、実は本事件での不法滞在者である外国人は、本国から迫害を受けるおそれのある「難民」であった可能性が高く、その場合であれば特別に滞在を許可してもらうことができたからでした(ちなみにどうして最初から自分が「難民」であることを主張しなかったのかは不明です)。
 さて、これで準備は整ったかと思います。

 判例は結論として処分の取消を認めませんでした
 判例は、法務大臣の判断の結果が相手方ではなく主任審査官に通知されることに注目して、この「裁決書」は相手方に処分の理由を明らかにして訴訟の便宜を与える手続的利益を保障したものではなく、単なる内部的手続の定めに過ぎないと考えます。さらに、「難民」であることを主張していなかったのだから、法務大臣の判断には影響がなかったということも理由として挙げています。
 
 非常に優れた理論構成で、この理論自体はまったくもって正当。さすがと言わざるを得ません。
 しかし! しかしですよ……、この結論はあんまりじゃありませんか? ひょっとしたら「難民」かもしれないんですよ? そもそも、ぼくは判例が「裁決書」を内部的な手続に過ぎないから重要じゃないと言うのにはハラワタが煮えくり返るほどに納得できません。医師国家試験の受験資格申請に対する却下処分くらいでも、処分の理由が明らかにされていないと取消された事件もあるんです。なんぞいわんや退去強制! これだけ重大な処分であるにもかかわらずその手続が内部的なものに過ぎないなど、釣り合わないことこの上なし。

 繰り返しますが判例の理論はまったくおかしくない。けれども、理論とはよりよき現実のために導きだされるものであって、決して理論が現実を縛るのではない! とかくこの理は銘記されなければならない。
 だとするなら、本事件ではもう一度「難民」であるか審査をしてもらうのが現実的に望ましいのだから、理論だってその結論に添うように限界まで考えなければならない。限界まで突き詰め、やはり無理だとなった時点で初めて、取消は認められないという結論が苦渋の決断をもって出されるのでなければならない。

 確かに判例は優れた理論を提供してくれた、しかし、それは乗り越えられなければならない理論です。そしてもしその理論を考えることができないなら、ぼくは法律家になる資格などない、そう思っています。

 だいぶ専門的な話が長くなりました。我慢して読んでいただいた方に、感謝。

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