↑
--/--/-- (--) カテゴリー: スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
(記事編集) http://nekohituzibanana.blog63.fc2.com/?overture" target="_new
--/--/-- | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ | ↑
2012/01/04 (水) カテゴリー: 徒然日記
どうも田宮です。
年末年始にかけて青森の実家に里帰りしていたのですが、本日仙台の方へ戻ってきました。
この言葉を今更言うのも間抜けな感じがして嫌ですが、みなさま、あけましておめでとうございます
。陰ながら、みなさまが勝手に幸福になっていけるように応援しています。
ちなみに青森の方では雪が40cmほど積もっていました。そのため約5年ぶりとなる雪かきに強制参加させられましたが、割と普段から歩く距離だけは長かったおかげか、それほどきつくはありませんでした。それと帰りのバスでふと気がついたのですが、青森では屋根が平らな家が多い(10軒あれば9軒は平らな屋根)。おそらく傾斜だと雪が落ちたりつららが刺さったりと危険だったり、屋根に上がって雪かきをするためという理由からだと思いますが、あまりにも当たり前なこととして存在していたのでこれが豪雪地方特有のものだとは考えていませんでした。玄関の「雪囲い」もそうですが(分からない人はここを参照)、やはりその地域の風土によって様々な違いがたくさんあるのだと思うと、なかなか楽しい。そしてこのように風土による違いを想い起こすとき、和辻哲郎の『風土』(岩波文庫)が示した文化論の凄味を感じます。
帰省中は親戚の家を回ったりする以外には特にやることがなかったので、基本的にはテレビを見たり本を読んだりとまったり過ごしていました。あとは携帯を買い替えたりもしたのですが、ここで電話帳のデータを引き継げないというアクシデントが発生(ドコモショップの方が20分くらい頑張ったが挫折)。仕方なくまた一から、一人ずつ手で電話帳に入力していきました。しかし途中で面倒になって適当に入力していたため、後であけおめメールをしたところ、20人くらい届かない人が
。まあそのうち半分くらいはもう連絡をほとんど取っていない人ですので構わないのですが。残りの半分の人とは学校が始まってからまた交換したいと思います。
ところで私は自分が持っている本のほとんどを実家に置いてきています。その中で今回再読したものに、岩波ジュニア新書の岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』があるのですが、改めて読んでみるとこれはとてもすごい本だということに気がつきました。
この岩波ジュニア新書とは、主に中高生を対象とした新書ですが、内容は「これ明らかに中高生じゃ全部は理解できないだろ」というものが多いです。それでも内容は非常に丁寧かつ(学問としては)基本的なので、その点では入門に適した新書だと思います。
入門書というものは、意外に軽視されがちな気がしています。むしろやる気がある人ほど、入門書を読まずにいきなり難しくて厚めの本に挑戦しようとする人が多いのでは。しかし、私は法律の勉強では中級者レベルにはなってきたと思っていますが、民事訴訟法では『民事裁判入門』、刑事訴訟法では『入門刑事手続法』という入門書として扱われる本をずっと初めから使っています。しかも、これらの本を使っていて困ったことはそれほどありませんし、むしろ他の本を読むよりも噛み砕いて説明してくれているので、理解という面では入門書の方が数段優れていると感じています(もちろん調べる時は他の本も参照します)。
私は、勉強するときに大切なことは、これから学んで行く内容の「地図を手に入れる」ことだと考えています。「構造を掴む」と言ってもよいかもしれません。私はよく「インデックスをまとめる」と言いますが、要は頭の中で、目次のように、項目立てたファイルを持つというイメージです。この「地図」や「構造」を頭に入れる際には、入門書を読むことが欠かせません。と言うのも、教える側に立つとよく分かりますが、これらを相手に教えるには、自分が教える内容を完全に理解している必要があるからです。入門書の著者はたいていの場合は、その道の大家です。大家だからこそ入門書が書けるのです。また、「地図」や「構造」を頭に入れるには、あまり細かい知識よりも根幹を押さえることが重要になるので、入門書のような薄い本の方が適していると思います。
世阿弥がその著書『花鏡』に記した「是非とも初心忘るべからず 時々の初心忘るべからず 老後の初心忘るべからず 」という言葉は、初心者のときの物事に対する謙虚な気持ちを忘れてはいけないという意味のことわざですが、そもそも、この「初心者」を脱却したと自信をもって言える人はどれだけいるのでしょうか。いったいどれだけの人が、世に入門書と呼ばれる本の内容を完璧に理解できているのでしょうか。
ですから、世阿弥の「初心忘れるべからず」という言葉は、私などにはなんとも縁のない言葉です。忘れるもなにも、「初心者」ではないなどと調子に乗れる分野が自分には未だにないものですから、今も毎日入門書を読みふけているのです。
最後に、最近読んだ岩波ジュニア新書の堤美果『社会の真実の見つけかた』(これもとてもよい本です)の一文を引用して終わります。
「…学校で好きなことを学んだり、けがや病気をしても請求書の心配をせずにすぐ病院に行かれたり、真面目に働けばいつか好きな人と結婚して子どもを持つことができる、そんな普通の人生が、”高望み”だって言われる社会に住んでいる子どもは、それを手にする方法がひとつしかなかったら絶対に手をのばす。たとえそれが”戦争”であっても」(pp51)
このインタビューの言葉を言っている人がアメリカの若者だと聞いて信じられない人は、アメリカという国について「初心者」ほどの内容も知らないことを自覚しなければならない。
年末年始にかけて青森の実家に里帰りしていたのですが、本日仙台の方へ戻ってきました。
この言葉を今更言うのも間抜けな感じがして嫌ですが、みなさま、あけましておめでとうございます

ちなみに青森の方では雪が40cmほど積もっていました。そのため約5年ぶりとなる雪かきに強制参加させられましたが、割と普段から歩く距離だけは長かったおかげか、それほどきつくはありませんでした。それと帰りのバスでふと気がついたのですが、青森では屋根が平らな家が多い(10軒あれば9軒は平らな屋根)。おそらく傾斜だと雪が落ちたりつららが刺さったりと危険だったり、屋根に上がって雪かきをするためという理由からだと思いますが、あまりにも当たり前なこととして存在していたのでこれが豪雪地方特有のものだとは考えていませんでした。玄関の「雪囲い」もそうですが(分からない人はここを参照)、やはりその地域の風土によって様々な違いがたくさんあるのだと思うと、なかなか楽しい。そしてこのように風土による違いを想い起こすとき、和辻哲郎の『風土』(岩波文庫)が示した文化論の凄味を感じます。
帰省中は親戚の家を回ったりする以外には特にやることがなかったので、基本的にはテレビを見たり本を読んだりとまったり過ごしていました。あとは携帯を買い替えたりもしたのですが、ここで電話帳のデータを引き継げないというアクシデントが発生(ドコモショップの方が20分くらい頑張ったが挫折)。仕方なくまた一から、一人ずつ手で電話帳に入力していきました。しかし途中で面倒になって適当に入力していたため、後であけおめメールをしたところ、20人くらい届かない人が

ところで私は自分が持っている本のほとんどを実家に置いてきています。その中で今回再読したものに、岩波ジュニア新書の岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』があるのですが、改めて読んでみるとこれはとてもすごい本だということに気がつきました。
この岩波ジュニア新書とは、主に中高生を対象とした新書ですが、内容は「これ明らかに中高生じゃ全部は理解できないだろ」というものが多いです。それでも内容は非常に丁寧かつ(学問としては)基本的なので、その点では入門に適した新書だと思います。
入門書というものは、意外に軽視されがちな気がしています。むしろやる気がある人ほど、入門書を読まずにいきなり難しくて厚めの本に挑戦しようとする人が多いのでは。しかし、私は法律の勉強では中級者レベルにはなってきたと思っていますが、民事訴訟法では『民事裁判入門』、刑事訴訟法では『入門刑事手続法』という入門書として扱われる本をずっと初めから使っています。しかも、これらの本を使っていて困ったことはそれほどありませんし、むしろ他の本を読むよりも噛み砕いて説明してくれているので、理解という面では入門書の方が数段優れていると感じています(もちろん調べる時は他の本も参照します)。
私は、勉強するときに大切なことは、これから学んで行く内容の「地図を手に入れる」ことだと考えています。「構造を掴む」と言ってもよいかもしれません。私はよく「インデックスをまとめる」と言いますが、要は頭の中で、目次のように、項目立てたファイルを持つというイメージです。この「地図」や「構造」を頭に入れる際には、入門書を読むことが欠かせません。と言うのも、教える側に立つとよく分かりますが、これらを相手に教えるには、自分が教える内容を完全に理解している必要があるからです。入門書の著者はたいていの場合は、その道の大家です。大家だからこそ入門書が書けるのです。また、「地図」や「構造」を頭に入れるには、あまり細かい知識よりも根幹を押さえることが重要になるので、入門書のような薄い本の方が適していると思います。
世阿弥がその著書『花鏡』に記した「是非とも初心忘るべからず 時々の初心忘るべからず 老後の初心忘るべからず 」という言葉は、初心者のときの物事に対する謙虚な気持ちを忘れてはいけないという意味のことわざですが、そもそも、この「初心者」を脱却したと自信をもって言える人はどれだけいるのでしょうか。いったいどれだけの人が、世に入門書と呼ばれる本の内容を完璧に理解できているのでしょうか。
ですから、世阿弥の「初心忘れるべからず」という言葉は、私などにはなんとも縁のない言葉です。忘れるもなにも、「初心者」ではないなどと調子に乗れる分野が自分には未だにないものですから、今も毎日入門書を読みふけているのです。
最後に、最近読んだ岩波ジュニア新書の堤美果『社会の真実の見つけかた』(これもとてもよい本です)の一文を引用して終わります。
「…学校で好きなことを学んだり、けがや病気をしても請求書の心配をせずにすぐ病院に行かれたり、真面目に働けばいつか好きな人と結婚して子どもを持つことができる、そんな普通の人生が、”高望み”だって言われる社会に住んでいる子どもは、それを手にする方法がひとつしかなかったら絶対に手をのばす。たとえそれが”戦争”であっても」(pp51)
このインタビューの言葉を言っている人がアメリカの若者だと聞いて信じられない人は、アメリカという国について「初心者」ほどの内容も知らないことを自覚しなければならない。
![]() | ヨーロッパ思想入門 (岩波ジュニア新書) (2003/07/19) 岩田 靖夫 商品詳細を見る |
![]() | 社会の真実の見つけかた (岩波ジュニア新書) (2011/02/19) 堤 未果 商品詳細を見る |
スポンサーサイト
(記事編集) http://nekohituzibanana.blog63.fc2.com/blog-entry-391.html
2012/01/04 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ |コメントを投稿する 記事: 初心忘れるべからず?
お気軽にコメントをぞうぞ。非公開 (管理人のみ閲覧可能なコメント) にしたい場合には、ロック にチェックを入れてください。
Comment