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右手で描いた暇つぶし  語り部田宮My小説を載せていきます。ただ、それだけだと寂しいので、ぼくが日々感じたことや考えたことを徒然なるままに語りますね。 

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法曹と学者と公務員

   ↑  2012/02/15 (水)  カテゴリー: 徒然日記
 どうも田宮です。

 今日はゼミの先生が合格のお祝いをくださるということで、研究室へお邪魔しました。何をもらえるかとわくわくしながら行くと、実に意外なものを頂戴することに。それがこの陶器です。(ちなみに後にあるのは図書館で借りた環境法の教科書)
 DSC_0007_convert_20120214232106.jpg
 聞く所によると先生は6年前から趣味的に陶器をつくっているとのこと。2年間もゼミで一緒にいましたが全然知りませんでした(汗。写真だと分かりにくいかもしれませんが、これ、普通に売り物として置かれていてもそんなに違和感ない出来です。そう言えば、先生はこれを花立てもしくはとっくりにでも使ってくれとおっしゃってましたが、私の部屋は花を飾るような部屋じゃないので、とっくりにでもしようかと思います。私、家飲みはしないんですけど、飲み屋にこれ持って行っても大丈夫でしょうかね?無理なら仕方なくジンジャーでも飾ろうか……(花屋で売ってるの見たことねえけど笑)。

 先生とは1時間程色々なお話をしましたが、その中で法科大学院ができてから若手の学者が減ったという話をされました。つまり、法科大学院ができて法曹(実務家)を志望する人が増えたため、学者を目指す人が減ってしまったと。それが原因で学者に世代的な穴ができるのではないかと……(もっとも、学者はそもそも必要数が少ないので増えても困るともおっしゃってましたが笑)。
 とは言え、私の同級生にもいますが、法科大学院を卒業してから司法試験を合格しても法曹になる気はなく、むしろそれをステップとして学者を目指そうとしている人も少なからずいます。なのではっきりと学者を志望して勉強しているという人は減ったのかもしれませんが、潜在的な学者志望者はそこまで減っていないと私などは考えています。

 ちなみに、法科大学院へ入学するということは「止まらない列車に乗るようなもの」だと言われています。要は専門性の極みのゆえに後戻りがきかない道だと。
 法科大学院へ入学した人は、法曹になるという選択肢以外のほとんどを失うことになります。ただ先ほど述べたように学者になる道もありますし、あとかなり少数ですが、公務員試験には法科大学院卒業者枠なるものがあるらしく、これで公務員になるといわゆる官僚への道に進めるらしいです(合宿で一緒だった東北ロー2年の方がこれでした)。
 まあしかし、3つです。これ以外の職につくのであれば、法科大学院に入学する必要はないですし、最終的には時間と金の無駄になります。やはり、いろんな意味でリスキーな選択だと思います。だからこそ私は法科大学院を目指す人に対して確固たる理由をもって目指すべきだと言う訳ですが。

 最後に余談を。最近、羽海野チカの『3月のライオン』を買って読んだのですが、これ大変面白いですね。もともと将棋に興味があって買ってみたのですが、登場人物全員がとても生き生きと描かれていてよいです。絵も個人的には好きです(『東のエデン』の絵もよかったですし)。
 特に、今6巻が最新刊なのですが、ある女の子が、クラスでいじめられている女の子をかばったことから今度は自分がいじめの対象にされてしまい、辛くて涙を流しながらも、「私は正しい事をしたんだから、絶対に後悔なんてしない」と語るところなどは、私は非常に共感しました。
 これは、単なる強がりだとか、自己弁護といったものではない。いじめを放置する自分と、いじめからかばう自分とを比較したとき、後者を正しいと思ったならもはやそれはどうしようもないことなのだと思います。どちらが楽かという問題ではない。この女の子にとってそれはどちらも苦しいことなのであって、それでも自らの選択を正しいと思えるなら、人は辛くても生きてゆけます。それは誇り高い辛さであって、惨めな辛さではないから。
 おそらく次巻あたりでここらへんの問題が収束するような気もしますが、楽しみにしておきたいです。それでは。

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2012/02/15 | Comment (5) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ |

Comment


東のエデン、これもノイタミナ枠でしたね”笑 羽海野さんは、「夜は短し歩けよ乙女」の巻末で樋口師匠をイケメンに描いたことで、樋口師匠イケメン論争に口火をきります。まぁ、後に四畳半でナスだと公式見解が出ますが。性格が似てるのかねw 「いじめを止めていじめられるかもしれないが、それが正しい以上は従わざるを得ない。」 これ、六法中憲法を趣味(だけど日本国憲法自体は極めて左がかってるから嫌いなんですけどね”笑)としている私にとっては、「信教の自由」論争と被って非常にわかりやすかったです。すなわち、「信教の自由」は「自己決定」の結果なのかということですね。「自己決定」出来るのなら、その不利益(剣道拒否が許されず留年退学とか)も「自己責任」として被らなければなりません。しかし、それが例えば事故による腕の欠損のように、自ら選んだ結果ではないのなら、つまり、天命として気づいてしまえば従わざるをえないのだとすると、その不利益を帰責できないことになります。 田宮さんの記事は、後者の発想に極めて近いといえますね。 ひとつ前の記事が、田宮さんの人生観の答えですね”笑

フクロウ |  2012/02/15 (水) 11:28 [ 編集 ] No.39


Re: タイトルなし

> フクロウさん Thanks a lot!!

 こんなことを突拍子もなく言うのも変ですが、フクロウさんはとても良い人ですね。フクロウさんは私の拙い言葉から一つの思想というものを解釈して、それを表現してくださるので、私自身も意識していなかった自分の考え方に気付かされることがあります。信教の自由論争など、私は不勉強のゆえに知りませんでしたが、確かに私の考え方に近しい香りがします。ただ、やはりどこかが決定的に違うという感触もします。ちょっとそこら辺の違いが何なのかを考えてみたので、よければお付き合い願います。

 私の人生哲学というものは、「人は幸福になりたいから生きる」、これ一つだけです。この「幸福」というものを私は完全なブラックボックスとして考えてまして、この箱の中には、誰かを殺したい、他人の物を奪いたいなんて犯罪的な願望も入れる事ができます。この「幸福」の選択は自己の感性によってなすしかありません。それこそ、カレーはみんなが大好きだと言ったって、自分が嫌いだと思ったのなら嫌いでしかないように、「幸福」というものは徹底的に主観的な価値だからです。
 そうすると、「生きる事を善悪で語る事はできない」と思うのです。誰かを殺したいという想いを「幸福」だと感じた瞬間、もはやそれが善か悪かなんて基準で語ることは、嫌いなカレーを好きにならなければならないと考えるのと同様に無意味です。それが、「どうしようもない」という意味です。なので、『3月のライオン』の話で私が共感しているのは、ある女の子の行動が「正しい」からではなくて、その行動を彼女がはっきりと「正しいと認識できた上で」なしたという点なんです。私の考え方ですと、いじめをしているクラスメイトにしても、いじめをするのが楽しいと、それが自分の幸福なんだと認識した上でやっているのであれば、別にそれも「正しい」あり方の一つです。
 ただし、「幸福になりたいから生きる」のだとしても、それは他者においても同じことですから、人はできる限り他者の幸福を邪魔せずに生きるべきだということになると思います(もちろん「どうしようもない」ものはいくらでもありますが)。そしていじめを止めた彼女の行動は私が讃美し、いじめるクラスメイトの行動を私が讃美しないのは、後者が他者の幸福を侵害するものだからです。もし私がそのいじめているクラスメイトに対峙し、いじめを止めたいと思ったのなら、おそらく次のように言うと思います。「お前に誰かの幸福を踏みにじる権利はない。他者の幸福を侵害するなら、自らの死をも覚悟しろ。」

 ……と長くなりましたが(まあいつものことです笑)、以上の前提からすると、「天命として気づいてしまえば従わざるをえないのだとすると、その不利益を帰責できない」というのは私の考え方と違うことになります。幸福だと感じたためにもうどうしようもないことであっても、それが他者の幸福を侵害するものであれば、不利益の甘受を覚悟すべきだと思います。私はこのように考えて、最近の君が代斉唱命令事件や、少し前のオウム真理教解散命令事件などの判決に賛成しています。もちろんそこでは第三者的な正当性という議論は欠かせませんが。
 「自分がなぜそれをしてよいのか?」に対する最強の論理とは、「みんながそれをしてもよいからだ」ではないでしょうか。つまり、自分の幸福のために他者の幸福を侵害することは、もはや自らの幸福追及の根拠を否定する事に等しい。

田宮 |  2012/02/15 (水) 23:24 No.40


んーと、信教の自由の話は、ただ単純に似てるなぁ…と思って触れただけです”笑 田宮さんもローに行かれるとのことなので何かしらの役には立つかなと ̄▽ ̄ 田宮さんの人生論は[原則]個個人が完全自由に幸福追求[例外]みんながそれぞれの人生送ってる=邪魔するのはダメ(同じ報復を覚悟せよ)って感じですかね。 ちなみに道徳教育は、[原則]を無限定から修正して、社会に良いことに対して幸せを感じるように限定する役割ですね^^

フクロウ |  2012/02/16 (木) 02:42 [ 編集 ] No.42


Re: タイトルなし

>フクロウさん Thanks a lot!!

 そんな感じだと思いますー。まあ実は自分でも読み返してみて「何言ってんだこいつ?」となるときがあるんですけど(笑。

 ロー頑張らないとならないですねえ。でも憲法は最も不安な教科です。ぶっちゃけ判例以外で問題出されたら何書いてよいか分からなくなりますし。適当に対立する法益から両者の重要性を加味して比較衡量に持ち込んだりしてますが、内心は「こんなんでいけるのか……?」と疑問符がカーニバルを開いている状態に。しかしこれまでの試験ではそれでいけちゃたので打開策を探す気にもならず(ノ∀`)アチャー。もはや逃げに逃げて憲法判例の裁判官意見は面白いなーと、はしゃぎつつ読みあさる日々です。
 フクロウさんとは2年後に競い合う関係でもありますが、お互い頑張りましょう。

田宮 |  2012/02/16 (木) 11:07 No.43


ですね('-^*)/ 憲法は、司法試験に合格するだけなら(憲法学者にならないなら)有名判例ベースの勉強で問題ないと思いますよ。大切なのは確実正確な判例の理解です。過去問も基本的には判例梯子で解けるように作ってるので。これは旧司法試験時代の学者登用試験?みたいな時代の反省で、実際に憲法を訴訟で使えるように勉強させる意図があるようなので、判例ベースで勉強進めたので全く問題ないです”笑 さらに、裁判官の反対意見は、主張反論型の問題形式にうってつけなので、それを楽しく読む(そしておそらく頭に残る)ことほど有益なこともないと考えます(・ω・) まぁ、神戸ロー生の戯言ですけどね ̄▽ ̄;

フクロウ |  2012/02/16 (木) 15:35 [ 編集 ] No.44

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