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右手で描いた暇つぶし  語り部田宮My小説を載せていきます。ただ、それだけだと寂しいので、ぼくが日々感じたことや考えたことを徒然なるままに語りますね。 

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私は「納得したい」と思う

   ↑  2012/09/23 (日)  カテゴリー: 徒然日記
 法学にしろ何にしろ学問に対して疑問を抱いたとき、あなたはどのようなリアクションをとるだろうか? 「そういうように考えられているならばそれでよい」と考えるだろうか? それとも、「それはおかしい」と考えるだろうか?
 私は最近後者のように考えることが多い。

 少し専門的な話に立ち入って申し訳ないが、会社法の問題で次のようなものゼミで扱った。
 株式会社において、株主は、株主総会に出席して、提案されている議案につき賛成するか反対するかの意思表示をするのであるが、株主総会の開催地が自宅から離れていたり病気で行けないなどの事情がある株主もいるため、株主は誰か代理人を任命して、その人に株主総会に行ってもらい意思表示をさせることができる。これを「議決権の代理行使」と呼んでいる(会社法310条)。これは株主から能動的に行うのが原則ではあるが、逆に、株主に対して他の株主や株式会社が、「私を代理人にしませんか?」というように勧誘することもできる。これを「委任状の勧誘」と呼んでいる。この委任状の勧誘にあたっては、金融商法上の規制があり、また、上場会社については委任状府令による規制がある。
 その問題の事例では、株式会社Y(上場会社)とその株主であるX社がおり、X社がY社の経営権を握ろうとして、自分の味方を取締役に選任させようと企み、候補者を出した。これに対抗するY社も候補者を擁立し、決着は株主総会でつけることとなった。ところがY社は、委任状府令の規制に反する委任状勧誘を行い、その他の事情もあるが、結果としてY社が株主総会で勝利した。
 ここで問題となるのは、このY社勝利の株主総会でなされた決議を、X社は取消すことはできないかということである。すなわち、株主総会において招集または決議の方法が、法令・定款に反するときは、当該総会決議の取消しを裁判所に対して請求できる(会社法831条1項1号)。
 
 ゼミでは答えを実際に答案に書いてみて、それから解説を読んだり他の人の答案を読んで議論したりする。このときの解説にはこう書いてあった。委任状勧誘は、株主総会決議の前段階の事実行為であって、株主総会の「決議の方法」ということはできないから、委任状府令の規制に反しても「決議の方法」が法令に反してたとは言えない(東京地判、通説)。要は委任状勧誘は「決議の方法」に当たらない。

 この点、私の答案は通説とは真逆であった。私の答案にはこう書いてある。「本件のように、参考書類を付けないなど委任状府令に反する委任状勧誘がなされた場合、委任をした株主としてみれば、それは情報を完全に認識しないままにしてしまった委任であり、適法に情報が完全に開示されていたならば委任をしなかったであろうという可能性、いわば不本意な委任がなされた危険性を否定できないのである。この危険性は、委任をした株主が正確な情報を認識できて初めて、委任の撤回などにより是正できるものであるが、そのように無事是正されるのは、委任をした株主が株主総会に出席した場合くらいであって、実際上ほぼあり得ない。してみれば、取消しにより事後的に是正する必要性がある。また、確かに、『決議の方法』が問題となるのは、議決権の行使の場面が典型的であり、委任状勧誘は代理行使の権限を得ようとするものであって、議決権の行使の場面とは異なる。しかし、例えば、株式会社が株主総会において情報を隠したままに決議がなされ、その後に情報が発覚したとなれば、それは『決議の方法』に瑕疵があったと言うべきであろう。そして、本件の問題を実質的に見れば,その本質はこれと何ら異なるところがない。したがって、少なくとも会社がなす委任状勧誘について瑕疵があるときは、これは『決議の方法』に瑕疵があると解するのが相当である。」。
 これは解説では有力説に近い考え方であった。その後、他の人と議論もして、その人は通説寄りの考え方(委任状勧誘の時点では議決権行使とワンクッションあるから『決議の方法』に当たらない)であったが、どちらも相手を説得するまでには至らなかった。

 「通説」というのは、ある問題について最も賛同者が多い考え方であるが、法学において通説はほとんど揺るぎない。だから、仮に上の通説の内容を教科書で読んだり、もしくは講義で聴いた場合であれば、私は「ふーん、そうなんだ」くらいにしか思わなかったかもしれない。しかし、実際に自分で答案を書く場合は、なかなかそうはゆかない。納得しなければ、私は答案に書きたくない。自分が納得していないものを自分の考えとして現実に表明するというのは、実に耐えがたい屈辱に感じる。
 他方で、「通説」のとおり書くのが無難・安全ではある(ただし調べてみたところ今回の問題での通説は現在は微妙な感じになっている)。だから、もし司法試験の本番で今回のような問題が出たときに、答案で書いたような考えを貫けるかと聞かれると悩む。しかし同時に、おそらく「貫くだろう」とも思っているから、不思議ではある。
 これは結局、私自身が、あまり生半可なものを望んでいないことを示しているのだろう。私はよく教訓めいた言葉をノートに書くことが多いが、最近ふと思い浮かんだ言葉がとてもしっくりきているので、それを書いて終わりたい。

 「満ち足りることを知れ、その後に覚悟せよ」。
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