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右手で描いた暇つぶし  語り部田宮My小説を載せていきます。ただ、それだけだと寂しいので、ぼくが日々感じたことや考えたことを徒然なるままに語りますね。 

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帰納的人生論

   ↑  2012/10/23 (火)  カテゴリー: 徒然日記
 私はその思弁的な性格もあって早くから「人生とは何だろうか?」という人生論に想いを巡らすこととなった。
 まず考えたことは、「全ての人々の模倣となる生き方は何だろうか?」ということであった。そのため、伝記等で偉人の話を読むのは子どもの頃から好きであった。
 しかし、少し経ってから、そういうものは存在しないと思うようになった。
 それからは、「自分はどう生きるべきだろうか?」という問題に向かうこととなった。
 しかし、やはりこの問題に対しても、私はそういうものは存在しないと結論を付けた。
 上の2つで私が考えたことは、結局共通した理由に基づいていた。理由は2つあった。すなわち、まず、もしある一定の法則を設定し、常にこれに基づいて行動をするとした場合、それは具体的な問題と対立する際に付きまとう葛藤を放棄し、安易に自分の選択を肯定することにならないかという疑問があった。次に、理想とすべき生き方を発見できたとしても、それが本物であるという確信を得られるのか、言葉を代えれば、それをずっと変わらずに保ち続けられるのだろうかという疑問があった。

 むしろ私にとって説得的であったのは、自分が理想とする生き方というものは、日々の生活から立ち現れて来るものでないかという考え方であった。これを個人的に「帰納的人生論」と呼んでいる。
 つまり、日々の暮らしの中には、あらゆる選択の場面があり、その度に私は選択をし続けている。そこにある一定の法則を見出すことは至難の業であるが、しかし、「何か漠然とした思惑」があるような気がしないでもない。どのような些細な選択であっても、その際瞬間的に、何かを確実に考えたはずだからである。だとすればこの「何か漠然とした思惑」は、私という自己が綿々と、良いと考えたもの、又は少なくとも悪くはないと考えてきたものの総体の証左であると言ってよい。それは、頭で抽象的に考える理想よりもずっと、理想に近い。
 だから、理想とすべき生き方を見つけたいと思うならば、重要なことは、個々具体的な日々の暮らしの中で、真剣な思惑を重ね続けることである。その先にこそ、自分自身の本物の理想が立ち現れて来るのだと、私は思う。
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 |  2012/10/31 (水) 15:16 No.45

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