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右手で描いた暇つぶし  語り部田宮My小説を載せていきます。ただ、それだけだと寂しいので、ぼくが日々感じたことや考えたことを徒然なるままに語りますね。 

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銃が人を殺す

   ↑  2012/12/23 (日)  カテゴリー: 徒然日記
 今回も気付いたら選挙が終わっていた。私は住民票を移していないせいで、成人してから未だに投票したことがない。ホームレスの問題も含めてだが、住民票の有無にかかわらず投票させてくれないかなあと思う、今日このごろ。

 さて、私は他国のあり方に口を挟むことは好きでないのですが、今日はアメリカの「銃規制」について考えてみたいと思う。

 米 銃規制強化求める声高まる
 12月18日 12時15分
 アメリカ東部の小学校で男が銃を乱射し児童ら26人が死亡した事件を受け、市民の間では銃規制の強化を求める声が高まっており、議会でも規制の法制化を目指す動きが出ています。
 アメリカ東部のコネティカット州の小学校で今月14日、男が銃を乱射し、児童ら26人が死亡した事件を受けて、アメリカ国内では銃規制の強化を求める声が高まっており、首都ワシントンでは17日もホワイトハウスや議会の前に市民が集まり、「殺人をとめろ」と書かれたプラカードなどを持って規制の強化を訴えました。
また、ホワイトハウスのホームページ上でも規制の法制化を求める署名運動が始まり、この4日間で16万人以上の署名が集まったということです。
 ホームページへの書き込みには、「憲法で保障された自衛の権利を超えた銃の所有が認められている」などと記されており、民主・共和両党に対し、銃規制の法制化を急ぐよう求めています。
 こうしたなか、オバマ大統領は16日、事件の犠牲者を追悼する式典で銃規制を強化する必要性を訴えたほか、連邦議会でも上院情報特別委員会の民主党のファインスタイン委員長が殺傷力の高い銃の所持や販売を規制する法案を年明けにも提出する考えを示しました。
一方でアメリカでは、銃の所持は国民の権利だとして規制に反対する意見も根強く、規制強化の動きが一気に進展するのは難しいという見方も出ています。
NHKニュースより引用)

 *より詳しい経緯については、http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/1218.htmlを参照。


 アメリカで銃規制が行われない最たる理由は、全米ライフル協会(National Rifle Association)の存在にある。同協会は、〔1〕スローガンとして「人を殺すのは人であって銃ではない」と主張し、また、〔2〕アメリカ合衆国憲法修正条項第2条に定められた「武器を所持して携帯する権利」を根拠に、銃規制は認められないとしている。

〔1〕「人を殺すのは人であって銃ではない」というのは、これは詭弁である。
 「殺す」という言葉は、行為と結果の組み合わせから生じる。すなわち、確かに「行為」の面からみれば、人を殺そうとする行為の主体は、当然に人である。しかし、人を殺そうとする行為があれば、人の死という「結果」が生じるわけではない。
 例えば、人を殺そうとしても、素手であれば、相手が1人でも、死という「結果」を生じさせることは困難を極める。また、何か堅い棒状のものを所持していたなら、相手が1人や2人なら、死という「結果」を生じさせる可能性が出て来る。そして、銃であったなら、相手が30人くらいであろうが、死という「結果」を生じさせることは容易である。
 したがって、もし同協会が、「殺す」という言葉を行為の面から言及して、銃は殺人の主体でないと言いたいなら、このスローガンは紛れもなく真実である。しかし、もし同協会が、「殺す」という言葉を結果も含めて考えているのなら、そこでは人的要素(犯人の悪質性)のみならず、物的要素(凶器の殺傷性)を考慮しないことはできないから、やはり「銃が人を殺す」と言わねばならない。
 
〔2〕合衆国憲法については、すでに連邦最高裁判所が、これは個人が銃を所持する権利を認めたものであって、銃規制は憲法違反であるという判断をしているので、私としてはこれに従っておく。
 もっとも、引用記事に「憲法で保障された自衛の権利を超えた銃の所有が認められている」とあるように、連邦最高裁判所の判断を前提としても、銃の販売にあたり購入者の犯罪歴調査を義務付けたり、特に殺傷性の高い銃については自衛の権利を超えているとするなどして、一定の銃規制を課すことは可能である。
 オバマ大統領も、犠牲者を追悼する式典において、銃規制の強化につき前向きな姿勢を示している。また、引用記事にあるとおり、世論としても一定の銃規制はやむを得ないとする人が増えている。これらのことからすれば、アメリカにおいて一定の銃規制がなされる可能性は、非常に高いと、私は考えている。

 ところで、これが「銃の所持禁止」という話になれば、多くのアメリカ市民は反対をするのではないだろうか。
 だが、もしその理由が、合衆国憲法が銃の所持を保障していることにあるのだとすれば、それは単なる思考の放棄に過ぎない。例えば、現在日本では、自衛隊を軍隊として扱うかを超えて、戦力の行使を一般に可能とすべきかまで議論されているが、ここで憲法9条があるからと言って反対してみても、反対の理由にはなっていない。なぜなら、話はもはや憲法改正をするかどうかにまで及んでいるからである。
 したがって、アメリカにおいても、銃の所持禁止をすべきかということについて考えることは非常に重要なことであって、そこでは当然に憲法改正まで視野に入れておく必要がある。
 さらに余計なことを言えば、アメリカでは、市民と国家とを対立させて、国家から自分の身を守るための自衛権がなければならないというロック的な発想が根強いように思えるが、しかし、このように国家と市民とを明確に区分する考え方は、いったいその国家は誰がなぜ作り上げたものなのかという視点を、著しく損なっている発想のように思われてならない。率直に言えば、市民と国家とを対立させる発想は、もはや歴史的な遺物に過ぎないのではないだろうか。
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