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右手で描いた暇つぶし  語り部田宮My小説を載せていきます。ただ、それだけだと寂しいので、ぼくが日々感じたことや考えたことを徒然なるままに語りますね。 

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方法論は一貫させよ!

   ↑  2014/07/16 (水)  カテゴリー: 徒然日記
 どうも田宮です。

 いやー、暑い!暑いのは苦手です。とっても。
 地球温暖化マジカンベン(そういえば、地球温暖化って結局信じられる説なのかどうか一時期話題になったけど、最近はよく分からないな…)。

 さてさて、今日は自分の考えていることを、少し高めの視点からメタ的に考察してみようと思います。つまりは、私がどのようなことに興味をもって、このブログなどでどのように意見を発表して来たのか、さらにはこれからどうしていこうと思っているのかということを書こうかなと。
 私が考えようとしていることはみっつです。
 ①自分は何のために生きるのだろう(幸福論)
 ②そしてそのためにはどのような生き方をするのが得策なのだろう(方法論)
 ③では実際にその方法論を実践してみよう
 この最後の点については、各人によって違います。芸術家であれば芸術論、宗教家であれば宗教論というように。もちろん、③は、①および②から導かれているので、ひとつの分野にとどまる必然性はありません。私にとっては、③の中心は法律論ということになりますが、そこには密接に芸術論なども関わってくる感覚があります。

 これまで書いて来たことは、どちらかといえば幸福論であったのかなと思います。自分の考えというものは、常にアップデートされていくし、言葉は同じでもニュアンスを変更していくこともあるので、体系的に書いたことはないですけど。ただし、「なぜ人を殺してはいけないか」の記事は、比較的まとめて書いてある気がします。ポイントなのは、「あらゆる者のあらゆる幸福の存在」という箇所です。
 まあ誤解を恐れず言ってしまえば、私の幸福論というのは、自分が何に対して幸福を感じているかをよくよく知りなさい、というだけですね。その中身がなんであろうと、あなたは恥じ入る必要もないし、誰に非難されるいわれもない。ただ忘れないで欲しいのは、このことはあなたの隣人、さらにその隣人、つまりはみんなについても同様であるということ!あなたは社会の中で幸福にまつわる利益を得ている以上、自分の欲望の枝葉末節はゆずらねばならない!逆に言えば、あなたの幸福の心臓を撃ち抜かれるくらいなら、あなたは社会など捨ててやるべきだ。

 そしてこれから考えていきたいのは、方法論なんですね。もっとも、前の記事でもうある程度のことは書いてますけど。結局、私の幸福論がオープンなものである以上、方法論もそうなるだけなのですね。したがって、これ以上ろくなことが言えません。しかしひとつだけ重要なことがあります。
 それは、方法論の優劣は、その幸福の達成にどれだけ適しているかによって決まるということです。例えば、科学的真実について、哲学者は物理学者に対し、あらゆる科学的発見は仮説に過ぎないのであって普遍的な真実ではないなどと喧嘩を売り、ひんしゅくを買うことが多いようです。でも、これも両者がいくら議論したってどうしようもないと思うのです。だって、両者は目指しているものがちがうのですから。仮説だろうとなんだろうと物理学者がやることに変化はないのです。

 こうみると、どうも私が考えて来たことは、ひたすらに樽の中の水を捨てまくったようなものですね。もっと色々書こうと思えば書けるにしても。なんかむなしくなりました(笑)。でも、私のような馬鹿には、ただ捨てるだけでもこれだけの時間がかかるものなのです。それに、人間いつからでも幸福になれるのですから、時間がかかってもいいのだと思います。

 さて、なんだか綺麗にまとまったようにも思えますが、やっぱりごちゃごちゃ考えは浮かんで来るものです。
 いま私が考えるのは、「方法論は一貫させよ!」ということです。一貫しない方法論というものは、野菜を切るのに、包丁を使ったり、こん棒で叩いたり、果ては握りこぶしで殴ってみるなど、めちゃくちゃなことをしているようなものです。
 私にはなんだか、他の人は、自分がどのような方法で思考しているかについてあまりに無頓着ではないかなと感じられます。例えば、西洋人は、レヴィ=ストロースが出て来るまで、自分達が考えていることが西洋中心主義に毒されていることに気付きもしなかったわけです(マルクスの唯物史観など西洋中心主義の最たるものではないでしょうか→wiki)。これでは、自分のどんな道具を持っているかも分からずに、ただそれを振り回していただけです。ここまで高尚な例でなく、次のように簡単に考えてみてもよいです。「寛大」になりたいと思う青年がいます。ところが彼は、人に対してとやかく「寛大であれ!」と怒鳴り散らします。彼は「寛大」ではありません。なぜでしょう?「寛大」であるためにはどのように振る舞えばいいかを考えていないからです。もちろんただ彼が「寛大という思想にひたって悦でいたい」だけなのであればそれで構わないですけど。

 ということで、予告です!最近の私は、ある意見について、それがどのような思考方法を前提としているのかを考えるのがとても好きです。したがって、そういったことを書くことが多くなると思います(当然書かないこともある!)。
 なので、最近記事の内容が変わってるなーと感じたら、この記事をよんでくださーい。
 ではまた!!
 
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2014/07/16 | Comment (1) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ |
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こんにちは

はじめまして!あるブログを拝見していたら、このブログに出会いました。私もブログを開設しています。「鬼藤千春の小説」で検索できます。一度訪問してみて下さい。

鬼藤千春の小説 |  2014/08/02 (土) 11:47 [ 編集 ] No.52

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